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京都地方裁判所 昭和34年(ワ)349号 判決 1960年12月16日

原告 沖本リウ

被告 汐瀬謙三 外一名

主文

本件財産分与請求の訴は却下する。

原告の被告謙三に対する慰藉料請求、原告の被告吉蔵に対する登記手続請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

被告汐瀬謙三は原告に対し金五〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日より右支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

被告汐瀬吉蔵は被告謙三に対し別紙目録記載の家屋につき所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言を求め、

その請求の原因として、

一、原告は被告謙三と昭和二四年一一月二七日結婚式をあげ爾来事実上夫婦として同棲してきたものであるが、右結婚前は独身で女中も使用して華道(未生流表現派)、茶道(裏千家流)、煎茶(玉川遠州流)及び裁縫の師匠として、中でも華道教授としては弟子約一〇〇人以上を有し毎月の純益はおよそ三〇、〇〇〇円以上もあつた。そして被告謙三は当時原告の近所(被告吉蔵肩書住居)に居住していたが秘かに原告を見知り父被告吉蔵に対し原告を嫁に貰つてくれないときは死ぬとまで申出て原告に対し深く恋慕の情を示したため被告吉蔵はその旨を原告に伝え、被告謙三の嫁に懇望するに至つたものである。原告は両親とも死別しその上被告謙三とは年令も相当相違していることでもある故、右申入を堅辞し続けてきたが、父吉蔵の再三の懇望もだし難く、終に右婚姻に承諾を与え、かくて前記日時婚姻の式をあげるに至つた。

二、原告は被告謙三と結婚するに当つて自己の職業と家庭の主婦とは両立し難いことを感じていたし、婚家先の家庭もその家柄として長男たる被告謙三の嫁を職につかせることを好まなかつた等のことから原告は当時の住家を全部処理して原告の所有物は何一つ家に残さず、全部被告謙三方(当時同被告は被告吉蔵と同居していた)に持参して結婚したものである。

三、被告吉蔵は西陣織物業者として同業者間の有数の地位にあり、被告謙三はその長男で立命館大学文学部中退後一定の職にも就かず徒食していた関係もあり結婚後も被告謙三は収入らしいものはなく、原告の持参した金で夫婦の生活を維持していたため漸時にして原告の所持金は費消し毎日の生活にも困窮したが、被告吉蔵は原告等の生活費の面倒をみてくれず、そのまゝでは結婚生活の維持も出来ないばかりでなく、原告が昭和二六年九月より数回婚姻届を要求したが被告謙三は何故かこれを拒みつゞけ原告を入籍してくれなかつた。

四、そこで原告は昭和二六年九月一四日付京都家庭裁判所に対し被告謙三を相手方被告吉蔵を利害関係人として内縁解消等の調停申立(昭和二六年(家イ)第五三二号)をなしその結果昭和二七年四月二四日同裁判所において次のような調停が成立した。

(イ)  被告吉蔵は原告に対し昭和二七年四月末日を第一回とし同月より向う四〇ケ月間毎月末金五、〇〇〇円を支払う。

(ロ)  被告吉蔵は昭和二七年四月末日を第一回とし同月より向う三六ケ月間毎月末日金一〇、〇〇〇円を被告謙三に支払う。

(ハ)  被告吉蔵は被告謙三の病気療養費を前(ロ)と同一の期間内これを支払う、但し被告吉蔵よりその支払先に直接支払う。

(ニ)  原告と被告謙三とは従来通り内縁関係を継続すること。

かくて原告と被告謙三とは内縁関係をそのまゝ継続することにし、当時被告謙三は病気であつたため原告はこれを看病することとしその代償として被告吉蔵から原告及び被告謙三に生活補助金を支払うことに話がまとまつたのである。

五、ところが被告謙三はその後も原告を妻として処遇せず、これがため父吉蔵よりの右生活補助の期間がすぎると被告に全く夫婦生活を維持する経済的資力及び力量なく、原告は再び困窮生活をつゞけるに至つたがその間被告謙三は古い道具類を売つて生活しつゝも原告には少しの生活費をも渡さず経済的に原告をこまらせてかえりみない。原告はかくて夫婦生活継続の希望もたえたので、昭和三三年四月一五日知人村田道寛、徳村五三郎、岡本勘次郎、原告、被告謙三等相寄り交渉の結果、原告と被告謙三は内縁関係を合意解消することに話がまとまり、同日原告は右岡本勘次郎に引取られて同人方におちつき現在にいたつている。なお右交渉に際し被告謙三と原告に対する慰藉方法につき話合つたが、右の点について妥結を見出すことは出来なかつた。右内縁解消は原告の意向によつたものではあるが、結婚当時の事情及びその後約九年間も永い間夫婦として同棲し原告は自己の持参した金員を生活に費消し且つ諸道具類を売つてまで生活費にあててきたのに被告謙三は自己の婚姻生活によつて生ずる経済的負担を果さず原告の扶養をかえりみない態度に出るので原告は内縁関係をこれ以上続けることができず、やむなく右解消に及んだもので、かくせざるを得なくなつた責は専ら被告謙三にある。すなわち、被告謙三はその責に帰すべき理由により原告との婚姻予約債務を履行不能ならしめたものであるから同被告は原告が右内縁解消によつて蒙る損害を賠償しなければならない。

六、以上の次第で原告は右内縁解消に因り被告謙三に対し、損害賠償請求権を有する外財産分与請求権を有するところ、以上諸般の事情を考慮して原告は本訴において同被告に対し慰藉料として金三〇〇、〇〇〇円、財産分与として金二〇〇、〇〇〇円以上合計金五〇〇、〇〇〇円を請求する。

七、次に被告吉蔵に対する請求についてであるが、被告吉蔵は別紙目録記載の家屋を昭和二八年一二月二六日前所有者速水通文より金四〇〇、〇〇〇円で被告謙三の居宅として買受け、同日これを無償にて被告謙三に贈与し、爾来同家屋は被告謙三の所有となつており、現在被告謙三がこれに居住している。よつて被告謙三は被告吉蔵に対し右物件について所有権移転登記請求権を有するわけである。他方原告は被告謙三に対する本件慰藉料等請求権を保全するため同被告に代位して被告吉蔵に対し右移転登記手続を請求する次第である。と述べ、

立証として甲第一乃至三号証を提出し、証人岡本勘次郎、同村田道寛、同徳村五三郎、同矢野厳、原告本人の各尋問を求め、乙第一号証の成立を認めた。

被告等訴訟代理人は、

原告の請求はすべてこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求め、万一被告敗訴の場合は担保を条件とする仮執行免脱宣言を求め、

答弁として、

請求原因第一項中、被告謙三が原告とその主張日時頃結婚式をあげ爾来同棲し来りたること、被告謙三が原告と恋愛結婚をしたことは認めるが他は否認する。被告吉蔵は原告と被告謙三間の結婚にむしろ反対していたのである。

同第二項は否認。同第三項中被告吉蔵の職業被告謙三の学歴は認める。但し吉蔵はその後事業に失敗し現在は資力にとぼしい。

その余の原告主張事実は否認する。

すなわち、原告と被告謙三の夫婦生活費については夫婦共稼ぎし、また被告謙三の家財を処分し、又被告吉蔵より相当の生活援助をなす等により維持されたもので原告の家財処分に負うところは殆どない。むしろ原告のため原告の高価な衣類を作つた費用が多額である。また原告は自ら被告等に対し事毎に汐瀬家のような悪い奴らの家族には絶対ならないと罵倒的言辞をもつて自らの婚姻届出を拒んで来たのである。

同第四項中原告がその主張の如き内縁解消の調停申立をし、その結果原告主張の日時京都家庭裁判所において原告主張の如き調停成立の事実は認めるが、右調停には原告主張の条項の外「被告吉蔵と原告とは原告と被告謙三間の人事関係の如何に拘らず今後互に精神的物質的に何らの負担を負わずいかなる名義をもつてしても相互に要求しない。」(右人事関係云々とは原告と謙三が内縁関係を継続すると否をとはずの意である)旨の条項が附せられていたのであり、被告吉蔵は右調停による義務は完全に履行していたのである。

請求原因第五項中、原告主張の日時原告の申入により内縁解消の合意成立したことは認めるが、その余の原告主張事実は否認する。右内縁解消については被告謙三に何ら責はない。すなわち、原告が華道茶道にはげみ、被告謙三が写真技術による収入をあげてゆけば、立派に地味にではあるが生活が出来ていたのに拘らず、原告は事毎に被告謙三親子を罵倒し華道の弟子の面前でも被告謙三を夫として敬愛しない侮辱的言辞態度を露骨にし続け、自ら家出し数十日後の昭和三三年四月一五日漸く被告謙三と面談した際にも被告謙三の申出る妥協案を排し、反省の色を示さず仲裁人林田道寛、徳村五三郎、岡本勘次郎の面前で被告謙三を無上の悪人の如く、且つ原告の資力に寄食している夫の如く面罵侮辱した上一方的に内縁解消を宣言したので、男として被告謙三はやむなく、原告の希望をいれて内縁解消に合意を与えたものである。右の如く本件解消は原告自らえらんだ道であり、原告自ら夫婦信愛の根本を破壊し同居を拒んだものであつて被告謙三に何らの責ない。

以上の次第で同第六項は否認する。

同第七項は否認する。被告吉蔵は原告主張の如く本件家屋を被告謙三に贈与したことがない。被告吉蔵はこれを被告謙三に贈与すべき何らの義務も必要もないのである。と述べ、

立証として、乙第一号証を提出し、証人内藤つい、同橋本智二郎、同徳村五三郎、被告吉蔵、同被告各本人の各尋問を求め、甲第一号証の成立を認め、その他の甲号各証は不知と答えた。

理由

一、先づ職権を以て本件財産分与請求の適否について判断する。

おもうに財産分与請求権は新民法が認めた制度で二年の除斥期間に従うものであるが(民法七六八条、七七一条)その具体的内容は本来当事者間の協議により決められ、協議不調若くは不能なときには家庭裁判所の審判により決められる。すなわち、それは原則として家事審判事項(家事審判法九条一項乙類五号)であり、ただ人事訴訟事件として婚姻の取消又は離婚の訴において併せて地方裁判所に財産分与の申立をすることが許されるのを唯一の例外とする(人事訴訟法一五条参照、ただこの場合でもそれが純然たる訴訟事件となるのでない。当事者が請求の趣旨において示す財産分与に関する具体的請求は一の提案たるに止り、裁判所が分与させるべきかどうか並に分与の額及び方法をきめるものであることに変りはない。従つて右請求金の一部が認容されても主文において一部(その余の部分)の棄却を生じることはない、また判決中財産分与の点のみについて独立して控訴の申立が出来るか否かについても問題を生じる。)すなわち協議離婚または離婚判決があつた後に財産分与を請求する場合において右財産分与請求はすべて家庭裁判所の専属管轄に服するものといわねばならない。そしてこのような乙類審判事件を地方裁判所に訴えた場合は、事件を家庭裁判所に移送することは許されないものと解する。けだし移送(民訴三〇条)は訴訟の全部又は一部について管轄がない場合に許されるのであるから、訴訟事件でない財産分与に関する申立事件については地方裁判所より家庭裁判所への移送は許されないものといわねばならない。また調停前置主義をとる訴訟事件についてのみ職権で家庭裁判所の調停に付することも許されるが(家事審判法一八条)本来訴訟事件でない財産分与事件についてこの処置をとることも法の許容せないところといわねばならない。また民訴二一条の併合請求の裁判籍も訴訟事件の併合について認められるものであり、財産分与の如き家事審判事項については特別の規定(人訴一五条)のない限り訴訟事件との併合管轄は認めらるべきではない。結局このような家庭裁判所に専属すると認むべき家事審判事項について地方裁判所に提起した訴は不適法として却下を免れない。

さて以上は離婚に伴う財産分与請求についてであるが、本件は内縁解消に伴う財産分与請求である。内縁解消の場合にも右財産分与請求が許されるかどうかについては異論の存するところであるが、当裁判所はこれを積極に解するを相当と考える。

けだし内縁は届出を欠く点において法律婚と異る点はあるにしても事実婚として法の保護に価する実質をそなえているから財産分与に関する民法の規定を内縁解消の場合に準用して然るべきであると思われる。このように内縁関係の場合財産分与の規定を準用して然るべしとするも、手続上、内縁については離婚訴訟を生じる余地がないから内縁解消に伴う財産分与請求については人事訴訟手続法第一五条の準用の余地はなく、専ら家事審判事項として家庭裁判所の専属管轄に属するものといわねばならない。してみれば本件訴訟中原告の財産分与請求に関する部分は、前記説明のとおり不適法として却下を免れない。

二、慰藉料請求について、

原告と被告謙三が昭和二四年一一月二七日結婚式をあげ、爾来事実上夫婦として同棲し来りたること、昭和三三年四月一五日右内縁関係が合意解消されるにいたつたことはいずれも当事者間に争がない。そして成立に争のない乙第一号証に証人岡本勘次郎、同徳村五三郎、同橋本智二郎の各証言、原告(一部)被告謙三、被告吉蔵各本人尋問の結果を綜合すると、原告は右結婚前は華道(未生流表現派)茶道(裏千家流)煎茶(玉川遠州流)及び裁縫の師匠として一戸を構えて暮していたこと、被告謙三は立命館大学文学部を中退後定職なく庭園や写真に趣味をもち、これによつて内職的に多少の収入があつたが、未だ家庭をもち妻子を養ふ経済的能力はなく、写真を通じ原告方に出入するうち自分より一八才年長者の原告を恋慕するにいたり、父吉蔵を説得してその同意を得、更に原告を説得の上遂に同女と結婚するにいたつたこと、右結婚に際し原告は従来の華道等の師匠の職を止め、自己の住家もたたみ(家主に明渡し)、所有品をすべて婚嫁先である被告吉蔵方に持参し、二人の新婚生活は被告吉蔵方においてなされたが、被告謙三は原告を扶養する資産収入なく自分の前記内職により漸く自分の小使銭を稼ぐ程度であつたので、父吉蔵は原告ら夫婦を自宅に住ませ、二人の生活の面倒をみてきたが、未だ原告に小使銭まで与えるにはいたつていなかつたので原告は当初自分の持参金の中より、後には自分の荷物を処分してこれをまかなう状態であつたこと、原告としてはこのような生活にあきたらず、前途に希望を失い昭和二六年秋家出して知人岡本勘次郎方に身を寄せ、被告謙三を相手方、被告吉蔵を利害関係人として京都家庭裁判所に内縁解消の調停を申立て、その結果昭和二七年四月二四日同裁判所において、「原告と被告謙三は従来とおり内縁関係を継続すること、被告吉蔵は原告に対し向う四〇ケ月毎月五、〇〇〇円宛支払うこと、被告吉蔵は被告謙三に対して向う三六ケ月毎月一〇、〇〇〇円宛(なおその外にその間被告謙三の病気療養費の実費)を支払うこと、原告と被告吉蔵とは爾後原告と被告謙三との人事関係の如何に拘らずお互に精神的物質的に何らの負担を負わず何らの名義を以てするを問わず相互に要求をしないこと」等の条項の調停が成立したこと、右調停成立当時より原告と被告謙三は被告謙三の現在肩書住居に移り住むことになつたこと、この家は被告吉蔵が被告謙三夫婦に住わせるため購入したもので家賃の支払はいらなかつたが、ここでの二人の生活は右調停による被告吉蔵よりの生活援助金だけでは苦しかつたので原告らは他に収入の途を考え、原告は華道、茶道の師匠の再開を始め、被告もわずかではあるが(月収三、〇〇〇円)、茶道修業の名目で執事として他家に三年間勤め夫々その能力に応じ婚姻生活の維持に努力していたこと、原告の右師匠再開に伴い原告が未生流表現派をおこしたことなどから原告の衣裳の購入、茶会等に相当の出費を要することになつたが被告謙三も茶会花会には仕事を手伝う外それらの費用や生活費調達のために自己の書画骨董品、写真機、蔵書を売却処分し、また昭和二八年一〇月よりは佐藤玄々工房の委属によりその写真部担当として同所に勤務し昭和三三年三月にいたるまで同所より月収手取六、〇〇〇円乃至一二、〇〇〇円を得ていたこと、被告謙三はそこの勤務が終つてから現在も写真作家を以て任じているが、何ら定収入がないこと、生活能力、収入の点からいえば原告は終始被告謙三にまさり右お茶、花の師匠を再開してからは追々と弟子もふえ昭和三三年当時で授業料等の月収三〇、〇〇〇円位があつたこと、このような状態であつたので原告は被告謙三を所謂妻を養う能力のない夫として不満をもち、また自分の年令ひいては老後のことなどを考え、前途に不安をもち、昭和三三年二月末頃より家出して前記岡本方に身を寄せ被告謙三との内縁解消を決意し、同年四月一五日知人岡本勘次郎、徳村五三郎、村田道寛を同伴して被告謙三方に至り同被告に対しその旨表明したこと、これに対し被告謙三は原告に対し飜意を求めたが、右岡本勘次郎が同被告に対し「女に食わせてもらつているのは甲斐性がない、男妾のようではないか、」とまでいつたりするので被告謙三としては不本意ながら遂に原告の内縁解消申出に同意するにいたつたことが各認められ、右認定にそわない原告本人尋問の結果は措信し難く他に前認定をくつがえすに足る証拠はない。以上認定事実に弁論の全趣旨からみて右内縁が解消するに至つたのは被告謙三に妻たる原告に何らの経済的負担をかけずにその婚姻費用を全部自己において負担し、完全に原告を扶養するだけの経済的能力、いわば男としての甲斐性乃至は生活力に欠けるところがあつたためであると察知できる。(この点に関し原告は右内縁解消の申入は原告の方よりしたものであるが、かくせざるを得なかつたのは被告謙三に妻を養ふ経済的能力なく、原告を扶養せずまた婚姻費を負担しなかつたに由るものであり、このような状態は被告謙三が過失により自ら婚姻予約の履行を不能ならしめたものであり、その責は同被告にあると主張する。)しかしながら、夫婦はその資産収入その他一切の事情を考慮して婚姻から生ずる費用を分担する責あるもので(民法七六〇条)、夫婦の一方が資産収入がないときは他の一方がすべて費用を負担すべきであるにしても、必ず男が女を養うべき筋合のものではない。夫婦は同居し互に協力して扶肋しなければならないのであつて、もし夫が生活無能力者であつてその妻に資産収入ある場合は妻が夫を扶養すべきこと当然である。前認定のような原告と被告謙三の両名間の経済的能力の比較からみて被告謙三もその分に応じ経済的負担をしてきたものであり、同被告が違法に原告との婚姻予約の履行を不能ならしめたものと認めることは到底できない。よつて原告の被告謙三に対する慰藉料請求は爾余の点について審理をなすまでもなく失当としてこれを棄却する。

三、次に被告吉蔵に対する原告の請求について考えてみるに、原告は本件家屋は被告吉蔵が被告謙三に贈与したことを前提としその所有権移転登記を同被告に代位して請求するものであるが、右贈与を確認するに足る証拠なく、却て被告両名本人尋問の結果を綜合すれば前認定の調停成立当時原告と被告謙三とは被告吉蔵と別居して内縁関係を継続することになり、これがため被告吉蔵は被告謙三の移転先として、自己の近所の貸家を売却して本件家屋を買取りこれを無償で使用させたにすぎないものであつて、これを被告謙三に贈与したものではないことを認めることができる。してみれば被告吉蔵が被告謙三にこれを贈与したことを前提とする原告の被告吉蔵に対する請求は爾余の点を不問としても既にこの点において失当であるからこれを棄却する。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 増田幸次郎)

目録

京都市北区紅梅町三四番地上

家屋番号同町七五番

一、木造瓦葺二階建居宅

建坪 二五坪五合

外二階 八坪三合

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